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【考察】30代になると「エヴァンゲリオン」は全く別の話に見えてくる(おめでとうの意味など)


馬場です。

アニメ版エヴァンゲリオンの最終話をみて、「よくわからーん!フワフワした終わり方をしやがって!」とずっと思っていました。しかし30代になってから見返すと、ようやくちょっとだけ意味が分かってきた、、という話をします。

私なりの捉え方なので、異なるご意見などもあるかと思いつつ、いったん吐き出してみますね。

 

結論から書くと、エヴァンゲリオン最終話は「シンジくんが自分の内面世界に閉じこもってしまう話」なんだと思います。

これまでシンジくんは、「他者に嫌われることを強く恐れ、常に愛を渇望し、他者の期待を満たすように行動する人物」として描かれてきました。

常に弱弱しく笑い、「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ」と自分を律し、他者の顔色を窺う。他者に嫌われるくらいなら、命を賭してエヴァンゲリオンに乗って使徒と戦う選択をする、、といった感じですね。

 

現代的な若者感覚でいえば、「は?なんでそんなに苦しい生き方するの」となるような気もしつつ、当時の世の中の生きづらさを、シンジくんというキャラクターはよく描写しているよなと思うのです。今が過渡期な感じもするので、未だにシンジ君の苦しみに共感できる方も多くいるかもしれません。

そして、最終回にてシンジくんは葛藤します。自分とは何か。他者とは何か。自由とは何か。

葛藤の結果として、彼は「他者に合わせるのではなく、自分の価値観を構築し、その価値観を肯定してくれるような世界で生きていけば良いんだ!」という結論に達します。その世界の1つとして、アニメ最終話では「シンジ君の妄想の世界」が描かれる訳です。

この妄想の世界では、アスカは幼馴染であり、毎日シンジ君のことを起こしに来てくれます。お母さんも生きていて、夫婦仲も良好です。そんな中で、やたら明るい性格の綾波レイが転校してくる、、、といった話です。

 

こういった妄想の世界のことを、シンジは「これもあり得たかもしれない1つの世界だ」と捉えます。

そして、他者に合わせるのではなく、自分の確固たる価値観、信念、理想を持ち、その理想を肯定してくれる世界を探せばいいんだ!という結論に達し、「自分は自分のままで生きて良く、ココにいてもいいんだ」と捉えられるようになります。

「でも、そんな世界は実現できないかも」と疑う自分もいますが、自分の中のアスカが「あんたバカァ?あんたが勝手にそう思い込んでるだけじゃないの?」と声を掛けてきます。

 

そして、そのように世界を、自らと他者との関係性を捉えられるようになったことに対して、様々な関係者から「おめでとう!」と祝福される訳です。ようやく大人になったねと。自由に生きるために必要なマインド転換ができたねと。


ただ、こういった考え方は、ある意味で現実逃避だと僕は思います。

他者との関係性の中で、重い通りにいかないことが多々あります。自分の価値観と、他者あるいは組織の価値観が合わないシーン、場面などはよくありますよね。

例えば、新入社員のマインドと会社組織のマインド、事業運営や会社ビジョンに対する考え方、配偶者との結婚や子育てに対する考え方など。。現実世界でヒトは、様々なギャップに苛まれ続ける訳です。

 

そのとき、他の価値観と戦ったり、自らの価値観を変えざるを得ないシーンが絶対に出てきます。

シンジくんの結論である「他者に合わせるのではなく、自分の価値観を肯定してくれるような世界で生きる」という生き方をしようと思ったら、引き籠るしかありません。引き籠ってアニメや漫画作品を見て、妄想を続けるしかない。

 

本当は、戦い続けなければならないのだと思うのです。嫌われる恐怖から。自らの価値観が否定される恐怖から。

価値観とは「自分が大事にする要素とその優先順位」であり、他者との関わりの中で得た経験により、それが変わっていくことが「人間としての成長」というのだと思います。「自分の価値観に合うコミュニティ、会社を探せばよい」という考え方が持てはやされていますが、それは「人間的に成長しない」ということと同義です。。

 

シンジくんは自らが妄想した世界を「1つの可能性」として捉えてしまいますが、現実問題としては母親は亡くなっている訳ですし、お父さんは捻くれてしまっている。自分がエヴァに乗らないと、人類は滅びてしまうという状況が存在する訳です。

現実的には、そんな可能性はない訳です。エヴァのパイロットではないシンジ君はあり得ない。そういった可能性の中で生きようと思ったら、引き籠って妄想の世界の中で生きるしかない。(あとはマトリックス的なVR空間が完備されたら、現実と妄想が溶け合うのかもしれませんが、、)

 

エヴァンゲリオン最終話を見て、共感と違和感を同時強く感じたのですが、「シンジくんが自分の内面世界に閉じこもってしまう話」だと捉えると、色々スッキリするなと思いました。

 

さらに書けば、他者から嫌われることを恐れる少年が、自分の価値観の中で生きようとした結果として生まれるのは「引き籠り」あるいは「バトルロワイヤル」です。バトルロワイヤルというのは、自らの価値観を貫き、実現するために他の価値観を駆逐していく感じです。それはそれでツライ生き方だと思います。。どこかで負けますし。



現代社会でうまく生きるためには、もう一段階成長し、周囲との関係性の中で否定されながら、学び、自らを変化させていく必要があるのだと思います。

もちろん世の中的な常識も移り変わっていくため、常にどこかでは否定され続け、それを契機に自らを更新させ続けていく強さや賢さが必要になる訳です。

そういったスキルを身に着けることが極めて大事で、教育システムなども更新・整備されていく必要があるのだと思います。(肝心の教師側が、上記スキルを身につけていないことがボトルネックとなる気がしますが)

 

以上です。休みつつ、逃げつつ、少しずつで良いので、がんばって生きていかねば、、、と思っています。

(追記)
旧劇場版は、アニメ最終話のアンチテーゼとなっていると捉えられます。ラストシーンでアスカから、「気持ち悪い」と否定されます。人類補完計画による価値観の統合ではなく、「自らを否定してくれる他者」と共存していくラストシーンになっています。

 


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1 thought on “【考察】30代になると「エヴァンゲリオン」は全く別の話に見えてくる(おめでとうの意味など)

  1. そういう見方もあるかもしれませんね。逆に30越したら合わない他人と仲良くやる事に興味無くなりました。仕方なし仕事をし、結婚から逃げ、遊びを覚えロクデナシになり、借家でいいやとマイホームやローンという大人の責任を捨て、自分の価値観を否定しない仲間と遊ぶように…。ある意味シンジくん化したのかも?笑 僕のようなある種幼稚な生き方でも生きてけるようになったのかもですね。世界がエヴァ化してるのかな。ではでは。

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