馬場です。
今回は映画「ダークナイト」の魅力について紹介していこうかと思います。
アメリカで2008年に公開された映画でして、いわゆる「バットマンシリーズ」の作品です。
これまで僕は「どうせアメコミ映画でしょ? 勧善懲悪ものでしょ?」くらいにしか思っていませんでした。
ただ、宇野常寛さんの「リトルピープルの時代」という本をキッカケに見てみると、めちゃくちゃ面白かったので魅力を紹介させていただきます。
一定のネタばれありで紹介していきますので、未視聴の方はご留意いただけますと幸いです。
物語の概要
物語は「ゴッサムシティ」という、アメリカのめっちゃ治安が悪い都市を舞台に展開されます。
物語の主人公は「ブルース・ウェイン」という大富豪の若者です。彼は子どものころに両親を犯罪者に殺されている過去があり、その精神的な外傷から「ゴッサムシティからマフィアを撲滅する」ことに執着しています。
大富豪であるという立場を生かし、研究開発費をつぎ込みまくって人体の力を最大限まで引き出す「強化スーツ」を開発し、それを装着して夜な夜なマフィアに制裁を加えていきます。マフィアを法で裁くのではなく、暴力で制裁を加えるというグレーな解決策を行うことから、人々は彼を「バットマン」と呼ぶようになりました。
ここまでがバットマンシリーズの基本設定なのですが、この映画ではもう1人の主人公的な存在として「ハービー・デント」という検事が登場します。
彼は「ゴッサム」の救世主と言われており、検事として犯罪に正面から立ち向かう存在です。イケメンで、さわやかで、頼りがいがあります。犯罪に怯えて暮らす人々にとって、まさに「希望の象徴」な訳です。バットマンのように暴力で解決するのではなく「法律にのっとって悪を捌き、次々と犯罪者を牢獄にぶち込んでいく」というスタイルを取るため、世間から強い支持を集めるわけですね。
かくして「バットマン」と「ハービーデント、検事」の2人の登場によってマフィアは困窮します。そして「ジョーカー」という謎の犯罪者に助けを求めます。
ジョーカーは完全な愉快犯で、犯罪行為そのものが快楽であり、自己目的化している存在です。ピエロの格好をしており、とにかく不気味なビジュアルです。
バットマン&ハービーデントの牙城を崩すために、ジョーカーは「警察内部の人間を裏切り者にしたてあげて、裏切り者に命令してハービーデント検事の婚約者を殺害する」という戦略を取ります。このことにより、正義の象徴であるハービーデント検事を絶望に追い込もうとする訳です。
かくしてジョーカーの狙いは成功し、ハービーデントの婚約者を殺害することに成功します。そのとき同時に、ハービーデント検事も大きなやけどを負ってしまうことになります。
これまで周囲の期待に応えようとし、正義のヒーローとして振舞ってきたにも関わらず、内部の裏切り者によって自分の幸せを奪われてしまったハービーデント検事は絶望し、正義のヒーローであることを辞めてしまいます。それどころか、警察内部の裏切り者に次々と復讐を果たしていく悪者(怪人トゥーフェイス)になってしまうのです。
ジョーカーの真の狙いは、正義の象徴であるデントをダークサイドに落とすことで「自分の快楽のために、利己的に生きることが正しい」という文化・風潮を広めることでした。
バットマンは、悪の道に落ちてしまったハービーデントを処理した上で、ジョーカーの狙いを防ぐためにデント検事が犯した罪を被ります。デント検事が犯した殺人などの犯罪行為は、すべて自分がやったことなのだと。そうすることで、「正義が存在する」という物語を守る訳です。
そうすることで、バットマンは「闇の騎士(ダークナイト)」になりましたよ…というのが本作の流れとなります。
本作の魅力・考察
主要な3人の登場人物であるバットマン、ハービーデント検事、ジョーカーの「生き方」を鮮やかに対比構造で描いている点が、本作最大の魅力なのではないかと個人的には考えます。
A.ジョーカー的な生き方
まず、ジョーカーは先ほども述べましたように「自分の快楽のために、自分が生きたいように生きる存在」です。
「自分が生きたいように生きるうえで、他人に迷惑をかけても別にいいや」という考え方をする利己的な存在です。こういう生き方をする方は、皆さんの周囲にもいるのではないでしょうか?
これは余談ですが、映画「天気の子」の主人公の穂高くんはジョーカー的な生き方に属する存在です。彼は「自分が好きな女の子を救うために、東京を水没させる」という決断をします。東京が水没してしまうと、何人かの命が失われ、何人かがこれまで人生をかけて築いてきた財産が奪われて悲しい思いをするのですが、それには目をつぶり、認知対象から外し、自分の快楽を優先する訳です。
違いはジョーカーのように不気味に描くか、天気の子のようにキラキラ描くかという描き方の差異であり、「自分の快楽のために、自分が生きたいように生きる」という点では同じ生き方を選んでいる訳です。
B.ハービーデント検事的な生き方
次にハービーデント検事ですが、「周囲の期待に応えようとする存在」です。
周囲の空気をよく読み、社会が良くなるために何ができるのかを考え、利他的に行動する存在です。ジョーカーのように自分本位で生きる人がいる一方で、こういう「最大多数の幸せ」を志向する生き方をする人もいますよね。
一方で、ハービーデント検事は婚約者を殺されたことによって、復讐者へと変わります。「他者の幸せ」のために一生懸命に生きてきたのに自分が報われないことに絶望し、「他者の幸せのために生きる正義のヒーロー」という生き方を捨て、ジョーカーと同じく「自分のやりたいことを、やりたいようにやる」存在へ180度チェンジする訳です。(快楽のために生きるジョーカーに対し、復讐のために生きるハービーデント検事という構図はあるので、正確には両者は違います)
C.バットマン的な生き方
最後にバットマンですが「ルールに縛られている存在」です。
彼は自分のことを「正義のヒーロー」と思っているため「たとえ悪者であっても殺しだけはNG」とか「重火器は利用せず、己の筋肉で戦う」みたいなマイルールを守ろうとします。また、正義の執行による快楽に依存している側面があります。両親を殺された自分の内面を満たすために正義を執行し、1人享楽を感じて生きる訳です。
要するに「社会や組織のルールに違反する人に対して、正義を執行して快楽を得る」ようなタイプの人です。皆さんの周りにもいるのではないでしょうか?
ジョーカーのように「快楽に身を任せ、自分がやりたいようにやる」のではなく、ハービーデント検事のように「周囲の期待に応え、皆を幸せにするために生きる」のではなく、「社会や組織のルールに縛られて生きている」のがバットマンです。
このように、ダークナイトという映画では登場人物の生き方を「三者三様」に描いています。自分の快楽か。他者の幸せか。正義の執行か。
さて、皆さんはどの生き方に共感するでしょうか?
どの生き方を選ぶと幸せになれるのか?
本作では、「自分のやりたいように生きる」ジョーカーがもっとも強い存在として描かれます。謎のマイルールを持つバットマンは、ルールに引っ張られてジョーカーには勝てません。そして「周囲の期待に応えて生きる」ハービーデント検事が、もっとも弱い存在として描かれます。利他的に生きることに絶望し、復讐者に成り果て、惨めな最期が待っています。
恐らくですが論理的に考えると、ジョーカーみたいに生きるのが、今の時代においては正解なのだと思います。個人的には。
自分のやりたいように生きる。そのせいで他者に不幸が訪れようとも、それは仕方のないものだと目をつぶる。そうやって生きるのが個人のレベルでは恐らく正しい。ジョーカーをモデルにすることに抵抗があるならば、天気の子の主人公をモデルにして考えれば、その正しさに共感いただけるのではないかと思います。
好きな子を犠牲にして、東京が水没することを防いだところで、穂高くんは幸せになりません。ハービーデント検事のような生き方をしても、幸せにはなれないのです。
「誰かを殴ったら殴り返される」ということにだけ気を付けて、自分のやりたいように生きるのが現代においては恐らく正しいのではないでしょうか。皆が自分の快楽のために生き、利害関係にある他者同士が殴り殴られ合う中で、あまりに行き過ぎたものは淘汰されていく…というイメージです。(またはルール改変が起きる)
いつものように最後は哀しい世界観を吐露する感じの終わり方になってしまいました笑
本記事をみて「ダークナイト」に興味を持たれた方は、Youtubeなどで400円でレンタル視聴できますので、良ければご覧ください!
以上、「ダークナイト」の考察でした。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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