「2つで十分ですよぉ。わかって下さいよぉ」
「強力わかもと」「子持ちの烏口」「充実の上に」「コルフ月品」
これらを聞いてピンと来た人は、この先を読まなくても大丈夫でしょう。
「レプリカント」「ネクサス6型」「タイレル社」「デッカード」「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」
これらのキーワードならば判る方も増えるのではないでしょうか。
それでもまだピンと来ない、あなた。
そんなあなたにオススメする映画。今回取り上げるのは映画「ブレードランナー」です。
本作は35年前のSF映画ですが、ハリウッドを代表するSF映画のひとつと言っても過言ではありません。
その世界観、作中で描かれる近未来の姿は攻殻機動隊を始め、様々なSF映画・アニメに影響を与えたと言われています。
そんなブレードランナーの続編が17年10月、「ブレードランナー2049」としてスクリーンに帰ってくる。
今回は、本作を観た事がないあなたに向けて、その魅力、そして続編に向けた気になるポイントを記載していきたいと思います。
基本情報とストーリー
監督:リドリー・スコット
脚本:ハンプトン・フィンチャー/デヴィッド・ピープルズ
出演:
リック・デッカード:ハリソン・フォード
ロイ・バッティ:ルドガー・ハウワー
レイチェル:ショーン・ヤング
プリス:ダリル・ハンナ
エルドン・タイレル:ジョー・ターケル
JF・セバスチャン:ウィリアム・サンダーソン
公開年:1982年
監督リドリー・スコットは、松田優作や高倉健が出演し、大阪を舞台として日米の刑事が活躍する「ブラック・レイン」や続編がまもなく公開されるエイリアンの監督としても有名なヒットメーカーの一人です。
当時、インディ・ジョーンズやスター・ウォーズのハン・ソロといった、どこかユーモアもある二枚目キャラクターを演じていたハリソン・フォードが、少し毛色の異なるハードボイルドな捜査官デッカードを演じています。
公開当初は、今ひとつの興行成績だったものの、その世界観や映像表現にじわじわと評価が集まり、カルト的人気を誇る作品です。
さて、本作を理解するために最も重要な概念が人造人間である「レプリカント」です。
レプリカントは人間が忌避する危険で過酷な環境での作業など、人間に従事することを目的に造られた生命体です。レプリカントがロボットやアンドロイドと異なるのは、見た目や肉体含めほとんどが人間と同じであるという点。人間よりも多少優れた身体能力を持ちますが、「安全管理」のため自我や感情はなく、本作に登場するネクサス6型レプリカントは寿命が4年と設計されています。
物語は本来自我を持たないはずの彼らが自我を持ち、人間に反旗を翻した、というところから始まります。主人公デッカードは対レプリカントの捜査官であるブレードランナーのひとりで、地球に侵入したネクサス6型レプリカント4人に立ち向かうという内容です。
本作の魅力は「世界観」と「テーマ」
まずは何と言っても、その映像表現と近未来の姿が挙げられます。
リドリー・スコット監督は当時のニューヨークに住む中国系移民の増加を目の当たりにし、いずれアジア人が席巻するのではないか、との着想を得て、香港をモデルとした雑多な街並みを舞台にしたようです。
ゴテゴテ光るネオン街など、日本では歌舞伎町や難波など決して珍しくもない街並みは西欧文化圏の人には馴染みがなかったようで、様々な光源に彩られた街並みが描かれます。
表通りは派手でけばけばしく、人でごった返していて、その一方、裏通りは薄暗く閑散とし、ゴミが散乱している。そんな街中を空飛ぶ車が行き交う。
こういった近未来の姿が82年当時に描かれており、そして、未だこの世界観に影響を受けた作品が見られるという意味ではエポックメイキングの一作と言えるでしょう。
単純に明るいネオンを映すだけでは軽くなってしまいがちな映像も、陰影の撮り方に秀でるリドリー・スコット監督の手によって重厚でハードボイルドな印象となっています。
次に挙げるのはそのテーマ性。
人間の根源的な問いである「ヒトとは何か」、そして「自我とは何か」。
それらを鍵に「ヒト」と「人造人間」の対比を通じて、本作の物語が作られています。
「人造人間に記憶や知識を与えれば、自我や感情が生まれるのではないか」
インタビューでは監督自身が上記の問いを発していますが、人工知能の発達目覚しい昨今でも答えの見えない問いを下地に、自我や感情を持ったレプリカントの苦悩、そして憤怒と、彼らを追いながらも「自分が本当に人間なのか。自分もレプリカントではないのか」と主人公が随所で煩悶する様子が描かれます。
特に後者に関しては、後述する物語の謎に大きく関与する部分でもあり、テーマとストーリーが上手く結びついた点でもあります。
深いテーマ性がありますが堅苦しい映画ではありませんし、「ヒトとは何か」に何らかの答えを提示する映画でもありません。
ですが、
「自我や感情を持ったレプリカントは人間と何が違うのか」
「自分がレプリカントではないとどうやって証明できるのか」
「自分の記憶が、本当に自分が得てきたものなのか」
など、考察を加えながら、本作を観るとより一層楽しめる作品でもあります。
ネタバレあり:シリアスなドラマの中でどこか笑える演出も
世界観がどうだ、テーマがどうだと記載しましたが、実際には結構笑えるばかばかしい場面や演出も各種に見られます。
その代表的なものをいくつかご紹介します。
1.謎の日本語
本文の冒頭でご紹介した4つの言葉(「強力わかもと」「子持ちの烏口」「充実の上に」「コルフ月品」)はシーンの随所で登場します。
「強力わかもと」は実在の精力剤ですが、他は完全な造語、あるいは誤植。
「コルフ月品」 おしいっ!なんか中国のまがいもんの感じがしますが、まだ言いたいことはわかります。
「充実の上に」は本作で半分が見切れたネオンサインですが、いったい何のことやら・・・
「子持ちの烏口」 待ち合わせ場所にされそうなこのネーミング。一体、何屋さんの看板なのか・・・
他にも日本人が見たり、聞いたら笑ってしまう日本語が随所に登場します。
2.レプリカントの行動
レプリカントのボス、ロイ。見た目はイケメンで、自らの寿命やレプリカントの存在に苦悩するという重要な役どころですが、行動が割りとぶっ飛んでます。
おっさんとキスしたり
物語のクライマックスはいつの間にかパンツ一丁で襲い掛かってきたり
一人で「シャイニング」ごっこしたり
ボスがこんな調子なので、部下もおかしくなるのでしょう。
プリスも物語終盤にデッカードと一戦交えるレプリカントですが、デッカードとの闘いの際には、デッカードの頭を股下に挟んで、殴るのかと思いきや鼻に指突っ込んで鼻フック。
この後、鼻フックに飽きたのかおもむろにデッカードから離れ助走をつけてバク転をしだし、挙句にデッカードに撃たれる始末。
自我を持つのも考えものです。
この他にも笑えるシーンは沢山あります。
これらのシーンが本作の質を落としている向きもあるようですが、個人的にはこれらも含めて名作と思います。
ネタバレあり:物語に残された謎は続編で語られるのか
本作はいくつかの謎を残したまま終幕しています。
「レイチェル(ヒロインポジションのレプリカント)の製造年と寿命は」「デッカードとレイチェルはどこへ向かったのか」「ガフの折り紙の意味は」等々
その中でも最大の謎は「デッカードはレプリカントなのか」という点です。
作中ではレイチェルがデッカードに(レプリカントを判別する)テストを受けることを勧めるシーンや、ガフが置いていったユニコーンの折り紙をデッカードが見つけ確信した表情になるシーン(ユニコーンの折り紙はデッカードしか知らないはずのユニコーンの夢を示唆し、それはつまりユニコーンの夢が植えつけられたものであること、すなわち、デッカードがレプリカントであることの証左である、と考察されている)などがあり、レプリカントであることを匂わせます。
実は「ブレードランナー ファイナル・カット版」での監督インタビューで「基本的に観客に解釈に委ねる形をとっているが、続編があるとすればデッカードをレプリカントにしようと考えていた。でも、続編を作るきっかけがなかった」と語っています。
10年以上前のインタビューですが、監督が明言してしまっているのです・・・
今回の続編には監督ではなく製作総指揮という形で関わるリドリー・スコット。
彼の意思が100%通るかどうかはさておき、「デッカード=レプリカント」説は一見、濃厚です。
だとすれば、ネクサス6型は寿命4年のところ、30年後が描かれる続編の場合、なぜデッカードが生きているのかという疑問も生じます。
やはりデッカードはレプリカントではないのか、はたまた別の理由があるのか。
謎に関わる疑問は尽きませんが、続編でハリソン・フォードはそのままデッカード役で、LA・LA・LANDの主演のライアン・ゴズリングがKという役で出演することが報じられています。
果たして、デッカードは本当にレプリカントなのか、ヒロインはどうなったのか、ライアン扮するKは一体どういう人物なのか。
続編を見る前に、是非、前作をご覧頂くことをオススメします。
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