止まない雨はない―
励ますために使われるにしても、どこか使い古され手垢のついた表現だ。それでもその言葉が使われるのは「どんな辛苦にも終わりがある」「未来を見据えよ」と前向きに語り掛けるからであろう。
だが、その前向きな言葉は雨に打たれている誰かにとっては、安全な場所からから投げ掛けられるだけの一方通行な優しさに時に陥る。
傘を差し出し、あるいは軒下となって雨が止むまでの時間を静かに与える。そんな優しさこそ、雨に打たれる人にとって必要な優しさなのかも知れない。
そんなことを考えさせる漫画、今回取り上げるのは漫画「恋は雨上がりのように」です。
恋愛漫画のようで恋愛漫画でない。でも、そこが魅力
本作「恋は雨上がりのように」は眉月じゅん作、スピリッツ(月刊・週刊)で14年から18年3月(16号)まで掲載されていた作品です。
18年1-3月期にはアニメも放映され、5月には実写映画化も決定しています。
主人公は橘あきら。17歳高校生の彼女は陸上部のエースであったが、アキレス腱の大怪我を負ったことをきっかけに陸上部から疎遠になってしまう。
そんな彼女が始めたのはファミレスのアルバイト。それも45歳バツイチの冴えない店長、近藤正巳に恋をしたからだった。
歳の差、約30歳。にわかには信じがたいあきらの一途な恋を描くのが本作です。
主人公あきらが店長に恋愛感情を抱くようになった理由は、怪我をした後、雨宿りしていたファミレスで彼が些細な手品で元気づけてくれたことにある。また、明確には語られませんが、両親が離婚しており、どこか父性を求める部分も影響しているように推測されます(原作では無表情なあきらが父の前では子供らしい表情を見せます)。
店長のその優しさは、陸上部のエースとして順風満帆ともいえる晴れの季節を駆け抜けてきた彼女にとって、初めて訪れた雨の季節をしのぐ暖かな傘となったのです。
こうして二人の恋模様は展開していきます。
恋愛漫画としては、その実、ありがちな展開はほとんどないと言ってもいいと思います。
明確な恋のライバルも、歳の差以外の恋の障害も登場しません。恋愛漫画の恋愛漫画たるエッセンスは実は少ないのです。
それでも尚本作が魅力的なのは二人の男女が再び走り出す様を描いているからなのです。
本作は二人が再び走り出す物語
あきらに好意を示された店長は戸惑いながらも、その素直な感性に惹かれて行きます。あきらがもつみずみずしい青さに魅せられていくのです。
徐々に作中で明らかになっていくのは店長がかつて文学青年であり、作家を目指していたけれども、現実の波にのまれ、ファミレスのしがない店長として生計を立てていること。心の内では小説への情熱がくすぶり続けるものの「小さく生きる」ことに慣れてしまっているのです。つまり、晴れた青の時代を過ぎ、それでもどこかそれを捨てられないまま店長も雨の日々を歩んでいたのです。
そんな時に出会ったあきらの若さや純粋さは彼自身が過去の自分を取り戻すきっかけとなっていきます。すなわち、店長があきらに優しさという傘を差し出したように、あきらも店長に対して前向きに本心と向き合う勇気を取り戻す日の光となっていたのです。
再生というには大袈裟ですが、雨の季節を経て、一時的な安息地を旅立つ物語。
「雨やどりしてただけだよ。もう大丈夫。」とあきらは最終話の前話で母親に語ります。
二人が歩む道はどこに至るのか、是非、まずは漫画原作で一度!