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【考察】30代になると「魔法少女まどかマギカ」は全く別の話に見えてくる


馬場です。

最近、魔法少女まどかマギカを見返しました。

初めて見たときは「なんだこの萌えアニメは、、、変な顔の形しやがって」くらいにしか思えなかったんですが、ようやく大流行した意味が分かってきました。この記事にはネタバレを多く含みますので、ご了承いただいた上で続きをご覧ください。

結論から書くと、魔法少女まどかマギカは「ヒトが(少女が)大人になることの意味」を描写しているのではないでしょうか?

 

ヒトという生き物は、何かを願い、期待して、それがエネルギーとなって行動します。期待通り未来が実現すれば幸せ・喜びを感じますが、期待通りの未来が訪れなければ辛さ・悲しさを感じます。ヒトは皆、基本的にはこのようなルールの中で生きている。

しかし、ひとたび魔法少女になってしまうと魔女討伐に最適化したシステムに組み込まれます。そうすると

・ソウルジェムが濁らせないために常に魔女との戦いを強いられ、プライベートな時間がなくなる

・血の通わない、ゾンビのような体になってしまう

ことになり、何かを願ったり期待しても、望んだ未来をほとんど実現できない状況に追い込まれてしまうのです。

これが「魔法少女になる」ことの本当の意味です。

 

「さやかちゃん」は、全ての願いが叶わなくなった人物の象徴的存在です。彼女は自らの願い(恋愛の成就)をすべて諦め、世のため、ヒトのために魔女を倒し続けるために一生を過ごさなければならない呪いを受けたのです。誰にも感謝されないにも関わらず。

つまりは「一生ずっと利他的な存在であり続けなければならない呪い」です。

「願っても、願っても自らの願いが叶わない」状況下に置かれると、ヒトは必ず絶望します。生きている理由が分からなくなってしまいます。だから、魔法少女は必ずどこかのタイミングで人生に絶望し、魔女になってしまう訳です。

ちょうど、多くのヒトが「世の中はどれだけ努力しても自分の思い通りにならないことがほとんど」だとを悟り、”大人”になっていくのと同じように。

 

逆に言えば、だから魔法少女になる瞬間だけはインキュベーターが奇跡を起こし、何でも願いを叶えてくれるんです。「これから先の人生における全ての願い」と引き換えに、何の努力をしなくても願いを叶えてもらえる。

そういう意味でも、インキュベーターはとても”フェア”な存在だと言えますね、、

さやかちゃんは色んな人がさりげなく警告してくれたにも関わらず、「他者の幸せ」を実現するために一生分の祈りを捧げてしまい、魔法少女になってしまいました。たいした覚悟なく魔法少女になってしまったからこそ、彼女は魔法少女としての才能に恵まれず、力が弱いのです。

そして、魔法少女になってからようやく、「魔法少女になること=一生ずっと利他的な存在であり続ける呪いを引き受けること」である認知したからこそ、”あたしってホントバカ”と感じたんだと思います。

逆に杏ちゃんは徹底的に「自分のため」に生きる登場人物です。これは彼女が自己中心的な性格だからではなく、「他者に嫌われても良いから自分のために生きなければダメだ」と強い心で自らを律している部分が大きいと思います。だからこそ彼女は魔法少女として強い。

そして誰よりも心が強く、優しいからこそ、最終的には葛藤の末にさやかちゃんのために命を投げ出してしまう訳ですね、、、

 

ちなみに、マミさんは「魔法少女になることの意味」を(半分くらい)知っていながら、自らの孤独を癒すために、まどかちゃん や さやかちゃんを魔法少女にしようと誘導している側面があります。これは極めて自己中心的な行為です。

そこんところをほむらちゃんは理解しているので、マミさんのことが嫌いなんだと思います。とても緻密な世界観、人物像の設定ですね、、、

 

で、これは何も魔法少女に限った話ではないと思うのです。

現実世界においても、ヒトの願いというものは、だいたい叶いません。なかなか思い通りにコトは進まない。

出世したい、多くのお金を稼ぎたい、カワイイ彼女・カッコいい彼氏が欲しい、愛されたい、子どもが欲しい、地位、名誉が欲しい…。ヒトの願いは際限がないですが全体のパイは決まっており、限りある資源の奪いになるため、願いのほとんどが叶うことはありません。

そうすると、どこかで”折り合い”をつける必要が出てきます。「このくらいで良いや、満足だ」と。

叶わない願いを持ち続けるほど、辛いことはないです。それよりは、今持っているモノ、自らの努力で届く範囲で手に入るモノで満足した方が幸せだよね、、と。

 

しかし、「折り合いをつける」ことには絶望が伴います。コトバを変えれば、「自らの願いを諦める」と同じ意味になります。そんな中で、「自らの願いが叶わないことを知り、絶望し、諦め、折り合いをつけること」がある意味では大人になるということであり、魔女になるということなんではないでしょうか。

そう考えると、「まどまぎ」の脚本を書いた虚淵玄というヒトは、物凄い哲学者であると同時に、スゴイ意地悪なヒトだなと思います。なにせ現実世界に疲れてしまい、そこから逃避するために、「魔法少女もの」のアニメを見ることで癒されにきた視聴者に対して、こんな現実を突きつけようとしているのですから。。

もしご興味を持っていただけたならば、週末に1話から見直してみてはいかがでしょうか?30代になったからこその発見があるかもしれません。。

ではでは。

 

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2 thoughts on “【考察】30代になると「魔法少女まどかマギカ」は全く別の話に見えてくる

  1. 6話まで観た感想、疑問点:
    ①女子中学生が亡くなっているのに、問題にならない学校。
    ②魔法少女、略して魔女。魔女イコール魔法少女?
    ③マミがやられた後、無防備のキュウベェを襲わないほむら。
    ④キュウベェの由来は、九尾(キュウビ)から?

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